モーリー・ロバートソン

放射能、TPP、子宮頸がんワクチン、大麻など、ひとたび「○○が怖い」「○○は穢(けが)れている」という流れになったとき、日本では多くの人々が目の前にある重い課題をゼロベースで考え抜くことを放棄し、「信じたいことを信じる」傾向が強くなる。みんな同じことを考えるはずだ、そうでないヤツはけしからん…。 この脆弱な言論空間に、スマートで巧妙な情報操作を行なう集団が現れたらどうなるか? たとえ「極右政権誕生」という形はとらなくとも、様々な形で“排外的な空気”が社会全体に染み渡っていく可能性は極めて高いでしょう。 マスメディアが没落してあらゆる情報が水平化した現在、情報の信頼性や真贋、そして「奥行き」は受け手側が判断しなければいけなくなりました。具体的な見分け方はケースバイケースですが、ひとつだけ言えることがあります。 自分や自分の属する集団を無批判に持ち上げる(「今のままが一番」「日本人で良かった」など)ばかりの報道や政治運動は、よく考えてみれば、別の誰かにとっては極めて排他的なものです。そんな言説が力を持つ世の中では、いつしかその排他性が自分にも向かってくる。これからの時代、そのことは誰もが肝に銘じておく必要があるでしょう。